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NEW YORKと音楽と
木村

 街を歩くとあちこちから音楽が聞こえてくる。地下鉄に乗ろうと狭い、生ぬるい階段を降りると、ホームでは1人のアジア人男性がテープに合わせてチェロを弾いている。こんなデリケートで繊細な音楽を、なぜ地下鉄のホームで演奏するのだろう。辺りは大きなヘッドホンをつけた通勤・通学の人たちが行き交っている、平凡な駅の光景である。ただ、暗い。Times Squareタイムズ・スクエアの中州では、MTV (Music Television)の撮影で若いバンドとカメラマンたちが集まり、夜になると黒人男性の3人組が、歩道でドラムの超絶技巧を披露している。ドラムをたたくのは2人、あとの一人はチップを集めてまわっている。とにかくうまい。翌朝7時、St. Patrick's Cathedral 聖パトリック教会のミサに参加しようとRockefeller Centerロックフェラーセンターを歩く。センター内の路上では、新しいブロードウェイミュージカルThe Scarlet Pimpernelスカーレット・ピンパネルの一場面Into the Fireを演じている。NBCの朝の番組"Today"の中継だ。新作ピンパネルを見たい人か、TV好きの人なのか、こんな時間から大勢の観客が集まっている。「ピンパネル」のタイトルを教えてくれた女性はミズーリ州から旅行に来ていると言っていた。
 
 何にせよ、New Yorkerはエンターテインメントには目がないらしく、いいものを求めて人は列を作る。毎月1日に翌月のチケットが発売になるMetropolitan Opera Houseメトロポリタン・オペラハウスは、私が居合わせた9月1日もやはり人の列。CBSのThe Ed Sullivan Theaterエド・サリバン劇場では、わずか十数席のLate Showの当日券を求めて、200人からの人が並ぶ。私も1時間並んだが、結局席は手に入らなかった。列をなしていたほとんどの落選者は、何ら悔しい顔もせずに立ち去っていく。また別の日に来ればいいといった顔で。New York一おいしいというH&H Bagles では、ベーグルの焼きあがる時間になると、朝食を求める通勤の人たちの列。この店はレストランではないので、一歩店を出ると、右手にベーグル、左手にコーヒーを持って歩く、まさに映画の中のNew Yorkerが溢れている。私もここで、1個65¢の巨大なベーグルを買い、ドア係を買ってでているおじさんと一緒に食べた。ちなみに、この日もEmpire State Buildingエンパイアの入り口には、観光客の列があった。
 
 DJの赤坂泰彦氏が、ある雑誌でこう語っている。「ぼくは年に一回くらいは必ずNew Yorkに行きますね。でも、ぼくのNew Yorkは他人から見るとつまらないですよ。New Yorkじゅうのレコード店をまわって、ひたすらCDを買いあさるのです。だからぼくは、女性といっしょにNew Yorkに行くことはないでしょうね・・・。」また、先日のラジオ番組でも、「New Yorkのレコード店は、店内にコーヒーショップがあり、夜中の2時まであいてます。そこで半日くらいかけてA to Zで探すのです。ここでぼくは毎回100枚くらいのCDを買い、日本に帰るときのぼくはマシンガンに弾をいっぱいに詰め込んだ気分です・・・」。私のこれまでのNew Yorkの中には、必ずこの「つまらない」日が何日かある。さすがに私の音楽は遊びなので、100枚を買うこともマシンガンを手にすることもないが、それでも新しい音楽や知らなかった音楽に出会える興奮を、おそらく私は彼と共有しているのだろうと、この話を聞いたときに思った。ちなみにTimes Squareのど真ん中にあるこのレコード店は、平日は深夜1時までの営業だが、私は先日その閉店のアナウンスを聞いた。そして翌日、「さあ、またひとつ大きくなったぞ」と弾を詰め込んで日本に帰ってきた。

J-PRESS 1998年 12月号