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私は「IBM PC300」で考えた
石黒

 先週「IBM PC300」が8台目の端末として、当セミナーに新しく登場。コンピュータ担当のT先生が6時間かけてハードの設置、ネットワークの再構築、ソフトのインストールを完了。「これでテキスト製作におけるイメージ処理能力が3倍アップし、先生方に迷惑をかけなくても済みます」。T先生は、額の汗をぬぐいながら賢明に独り言。さらに追い討ちをかけるように「メモリは128MB、CPUはpentiumⅢ 500MHzですから、当分大丈夫・・・」。
 
 私はと言えば「先生、F.W.さんからメールが届いてます」「あっ、そのうち見るから」「O.Z.から3日前にメールが届いてました」「消しといて」レベルのコンピュータとのお付き合い。もっぱら机上のパソコンは、「遥かなるオーガスタ(ゴルフゲーム)」専用機と化し、強いて言えばインターネットによるフライト予約が唯一の有効利用といったところ。TVCMは「こんなにこんなにこんなにこんなにメールをしても・・・」と女の子が訴えかけては来ますが、e-mailの日常的な有効活用には今ひとつ踏ん切りがつかず、FAX利用が関の山。
 
 12月8日は、父(大正9年生まれ)の80歳の誕生日。同時に太平洋戦争が勃発した日。「80歳や、80歳や!」の元気いっぱいの大合唱で、私の兄弟たちも「何が80歳や」と迷惑顔。そんな父が最近戦争中(父は太平洋戦争に昭和16年に召集され、シベリアでの抑留を経て昭和26年に帰郷)、戦地から母に宛てた手紙を整理していたので、数枚拝借してみました。
 
戦地の父から母への手紙
 拝復
 今日も、家のこの頃の様子をこまごまと知らせてくれてありがとう。病気知らずのお前のこと、相変わらずの達者で、野良仕事に精を出している由、百姓仕事の中でも難苦な秋の収穫作業、ご苦労です。(中略)此の頃は稲刈りの盛りだろう。ゴーゴー稲扱機の音で目を覚ます事が幾度か・・・あ、夢だったのか。汗みどろになり重い稲扱機を懸命に踏まれるお父様の姿、年寄った身で全くお気の毒です。重い体のお母様、毎日のお疲れ如何ばかりでしょう。(中略)満州も余程寒くなり、落葉樹はもう葉が落ちて、遥か異境の空より冷たい風が吹き下して来る。しかし、此の地に馴れ北辺の防人になりきった僕等には何が寒かろう。(中略)自の務めに励まれたし。両親への孝養忘れるなかれ。僕と二人分たのむ。子供の居ない御両親は淋しいからな。時々励まし、慰めてあげてくれ。想いにまかせて書き、つまらぬ事が長くなった。日夕点呼十分前、ではこれにて。
 
 "妻子ある兵 灯の下 針仕事"
 
 十月十四日 稔より
 
 
母から戦地の父への手紙
 (前略)家では父母上様はじめ一同元気であります故、御安心下さいませ。さて田の仕事も想像以上はかどりました。家では新起しもあと三反ほどとなりました。愛馬「萩」も今年は五歳です。大変よく歩き、汽車に恐れず楽です。だんだん白くなってきました。遠い處で見ても一寸灰色に見えるのですぐ判ります。(中略)この間の検査に三等賞を貰って来ました。五十余頭の中、十頭に賞状を渡された中へ入ったのです。明日は今日新起をした處へ石灰をまかなくてはなりませぬ。風のない朝の中の仕事 箕に入れて運役、今晩はゆっくり寝て明日、又一生懸命致しましょう。ご健康を祈りて筆を止む。
 五月十日 二十二時 せき子
 
 「毎月100メールまで無料」のTVCFが流れると、つい目が行ってしまうのも事実。テレビゲーム機、ワープロさえもパソコンと同様にインターネット機能を装備し、半数以上の家庭に普及する今日。年齢、職業、時間、場所を問わず、パソコンと真正面から付き合うことが半ば義務化し、もう逃げられない崖っぷち。
 
 「先生、N.W.からメールです」
 
 お願いです。あと数年間「手紙」を書いていてもいいですか?

J-PRESS 1999年 12月号