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ポテトチップスをつまみながら
深田

 「おやつ」と聞いてみなさんは何を思い浮かべますか。私は今、ポテトチップスをつまみながらこの原稿を書いています。いつ頃から私の食生活にポテトチップスが入り込んできたのでしょう。子供時代の私はポテトチップスの存在すら知りませんでした。 小学校時代、学校から帰って「今日のおやつは何?」と聞くと、母親が出してきたものは、北日本の「羽衣あられ」北菓の「ハードビスケット」福屋の「ビーバー」あるいは、ふかしたサツマイモ、ゆでたトウモロコシなどでした。
 遠足や運動会になると、いつもは欲しくてもなかなか買えないお菓子を予算一杯買い込んだものです。
 
 まずはチョコレート。明治「マーブルチョコ」「チョコベビー」、森永「チョコボール」、不二家の「パラソルチョコレート」「シガレットチョコレート」あたりが定番でした。少し余裕があると、明治「ストロベリーチョコレート」、グリコ「アーモンドチョコレート」、不二家「LOOKアラモードチョコレート」。LOOKチョコレートはコーヒー、キャラメル、いちご、バナナの4種(現在はバナナ、ストロベリー、パイナップル、ナッツに変わっています)の味で、私達はこれをアミダくじ、サイコロがわりに使ったりしていました。
 
 次にキャラメル。森永「ミルクキャラメル」にあきてくると「コーヒーキャラメル」、明治の「ヨーグルトキャラメル」、ときには不二家の「ミルキー」。
 
 あとは、カバヤ「ジューC」。私のまわりでは「車酔いにはジューC(特にレモン味)が効く」という噂がささやかれていて、特にバス遠足には欠かせないものでした。 お菓子選びが遠足や運動会よりも楽しい一大イベントでした。特に甘いものへの思いが強かったように思います。
 
 ポテトチップスの存在を知ったのは高校生のときです。「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが、カルビーのポテトチップスで100円は買えません」というセリフが印象的なTVCMによってでした。それがいつのまにか私の食生活に深く入り込みコンビニに立ち寄ると、つい新製品に手が伸びてしまう状態になっています。
 
 ところで、ポテトチップスの起源にはいくつかの説があります。その1つを紹介して終わりにします。
 
 1853年、アメリカの保養地サラトガ・スプリングスのレストランでの事です。ある客が「フレンチフライが厚すぎて自分の好みに合わない」と注文を取り消した。そこで料理長は薄く切って出したがそれでも客は気に入らない。怒った料理長が、フォークで刺せないほどバリバリに揚げて客を困らせようとして、ジャガイモを紙のように薄く切り、氷水でよく冷やしてから揚げて出した。ところがこれが意に反しておいしかった。他の客も競って注文するようになってしまう。
 このメニューがサラトガチップスと名づけられ、包装されて市販されるようにもなった。これが1920年代には工業的に生産され始め、アメリカ全土に広がっていく。日本には第二次世界大戦後に導入され、カルビーがポテトチップスの生産を始めたのが1975年です。

J-PRESS 2000年 11月号