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私は「高橋さん 87歳」で考えた
石黒

 初冬11月のある日、実家に東京在住70余年の私の父の叔父、高橋さんが訪ねて来た。父が先日、1ヶ月程入院したことを聞きつけ、10数年ぶりに故郷富山を訪問。「突然あんちゃん(私の父)の顔が見たくなって・・・。今日は小矢部宮島峡で泊まる・・・。」少年のように語る姿は決して87歳の老人とは思えない。「あんちゃん、タバコは良くない。私も7年前に胃と肺の手術したけど、医者から『タバコは止めなさい。』と言われ止めている。」
 
 この高橋さん、9人兄弟の7番目、尋常小学校を12歳で出るとすぐに東京へ。雑穀問屋に丁稚として奉公、朝から晩まで自転車の荷台に米を積んで配達すること20年間。いくつかの仕事を経て、現在は渋谷で賃貸ビルのオーナー、親戚1番の高額納税者となっている。「でも福野は変わらないねぇ。稲刈りの終わった田んぼで枯れ草に火をつけていて、その匂いも何十年前と同じだなぁ。」
 
 初冬の「匂い、香り」を感じさせるものに鍋がある。学生時代を北海道で過ごした私にとって1番の鍋は石狩鍋。10月下旬から市場、スーパーマーケットの店頭にはサケが所狭しと並ぶ。学生が買い求めるサケは川を上がりきり、脂肪分を消費しきった劣悪な品物で、地元では「ほっちゃれ(捨ててしまうもの)」と呼ばれる。
 
 そんなサケ、繁殖だけは必ず河川や湖沼などの淡水域でおこなう。生後1、2年してから川をくだり、北太平洋、ベーリング海、オホーツク海まで回遊をおこない、数年後に元の川にもどる。これらの海域では春から夏にかけて動物プランクトンが大発生、サケの回遊はこのプランクトンを追跡することにあるようだ。
 
 サケの持つ「帰巣習性」も有名で、出発した河川の自分が生まれた場所まで正確に回帰、記憶しもどってくる。外洋を数千キロにもわたって回遊するので、全区間にわたって自分の河川の匂いを追跡できる可能性は低く、帰巣の鍵となる要因はまだ特定されるにはいたっていないようである。
 
 「背戸の柿の木はどうした?あの水島柿の味だけは忘れられない。」高橋さん、まだまだ語り続ける。「囲炉りも、こわしてしまったのか。先日、薪で炊いたご飯を出す温泉行ったときかな・・・。『朝ご飯です。』って起こされる前に、薪の匂いで目が覚めて。」
 
 小1時間の滞在。帰り際、迎えのハイヤーに乗り込む時、「もう、富山には来れないと思う。仏様のお婆ちゃん守ってあげてね、頼んだよ。」 12月には検査の後、再手術を受けるとのこと。「もう、肺は半分、胃は3分の1になっちまった。」そんな言葉を反芻する間もなく、ハイヤーは「あんちゃん」の前から静かに離れていく。
 
参考 Microsoft Encarta Encyclopedia 2000

J-PRESS 2000年 12月号