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こたつ、みかん、テレビ、そして...
深田

 冬の遊びの定番と聞いて想像するのは何でしょうか。スキーやスノーボードといったアクティブ派も多いと思います。でも、私といえば雪国に生まれて40年以上たつというのにスノーボードの経験はゼロ。スキーも小学校のときの長靴スキーが数回程度。小さい頃から冬は完全にインドア派。
 
 現在ならば、パソコンやコンピュータゲームに熱中ということになるのでしょうが、私の小学校時代にはその対象はボードゲーム。 人生ゲームやダイヤモンドゲーム、モノポリー、ウノあたりにも人気があったと思いますが、中心は「エポック社の野球盤」。
 
 当時は長島、王(2000年日本シリーズの両監督)を中心としたジャイアンツ全盛の時代、天気がよければ近所の公園や校庭、あるいは稲刈り後の田んぼなどでアウトドアの野球を楽しんでいました。冬になり、雪が降り始めると野球盤の出番となるわけです。友人と2人でピッチャー役とバッター役に分かれてボードの上の銀球を投げたり打ったりするのです。
 
 私が持っていた野球盤には変化球の機能がついていました。これはピッチャー役がスイッチを操作するとピッチャーマウンドとホームベースの中間あたりの板底に装着された磁器装置が作動して、クニュウンと銀球が曲がるというもの。しかし、スピードが速いと曲がらない。かといってあまりにスローボールだと、バッターボックスの手前で銀球がグルングルンと回転して進んでいかない。これだけの機能を使いこなすだけでもかなりのテクニックが必要でした。
 
 ただゲームをするのはつまらないので、ノートに好きなチームのメンバーを書き込んでプレーすることもありました。「1番柴田、2番土井、3番王、4番長島、5番国松、6番黒江、7番高田、8番森、9番堀内」みたいな時代です。先にも書いたように、まわり全員がジャイアンツの帽子を被っているような状況でしたので、どちらが巨人をとるかでモメたものです。巨人以外のチームを9番まで空で言える者は稀でしたから、巨人をとれなかったほうは関取チームなどで立ち向かっていく。「北葉山、栃光、柏戸、大鵬、栃の海・・・」もうメチャクチャでした。
 
 ところで野球盤にはゲームに慣れた方が勝ち、みたいなところがありました。(特に「消える魔球」機能などで顕著)。外でやる野球で活躍できない者が親にたのみこんで買ってもらい、1人で練習を重ね、草野球のヒーローを負かして悦に入っているみたいなケースが多かったようです。運動神経に恵まれなかった野球好きの少年たちにほのかな幸福を与えたゲームといってもいいでしょう。ちなみに私は運動神経も恵まれていませんでしたが、手先も不器用で、野球盤でも活躍できないお笑い者でした。
 
 今考えるとなぜあんなに夢中になれたのか不思議ですが、冬の思い出というと、こたつにみかん、テレビ、そして野球盤ということになります。現在みなさんが熱中しているファミコンゲームは将来どんな存在になるのでしょうか。

J-PRESS 2001年 1月号