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修学旅行で考えた
島竹

 今から十数年前、修学旅行で広島の原爆資料館を訪ねた。その頃の私はといえば「戦争」にも「原爆」にもまったく縁のない人間だった。
 
 小学生のころ社会科の授業で、原子爆弾の投下によって20万人が一瞬にして亡くなったことを教わった。世界で最初に原爆を落とされたのが広島である事も知った。
 
 また、学校の図書室では「はだしのゲン」も読んだ。戦争の悲惨さをテーマにしていることはわかったが、もっぱら関心を惹いたのは、そのリアルな描写からもたらされる圧倒的な恐ろしさであった。それはもうホラーといってよいほどのグロテスクな光景で、平凡な日常を過ごす自分にとっては現実として受け入れることなど到底できなかった。実際、友人との話題にのぼったのはその気持ちの悪くなるくらいのシーンの数々であり、そこから一歩すすんで「だから戦争はいけない」という話にはならなかった。
 
 そんな少年だった私にとって修学旅行で訪れた広島の資料館は、その「悲惨な街」のイメージを再確認させるものだった。焼けただれたひとの死体、廃墟と化した街の写真からは原爆で亡くなった人達の怨恨が投げかけられてくるように感じた。それはもう地獄というべきものであって、地獄の恐怖がひたすら人間の本能的な感覚に訴えかけてくる。資料館をでたときは、後味の悪さと重くのしかってくる疲労だけが残った。
 
 今になって思うと、まだ子供だった当時の私にはその歴史的事実とどう向きあっていいのか、よくわからなかった。正直にいうと、広島について学んだことと「平和」が結びつかない。あまりの悲惨さに圧倒され、平和にまではとても頭がまわらないのだ。「地獄を見ることで平和を学ぶ」いわれるとそうかもしれないが、それにはどうも言葉にはしがたい違和感を感じる。
 
 それ以降、私は広島のことを封印してしまった。平和がいいにきまっている。でもそのことに向きあうとなると気分的に重くなる。できれば避けて通りたい問題なのだ。
 
 でも、こうして考えてみると、今の日本の平和な社会は、戦争の悲劇と多くの人たちの犠牲によってもたらされたものであることはまぎれもない事実。そこに生きる自分がそのことに目をそむけるのは決して正しい態度とはいえないのは確かだ。私にとって、片付いてはいない広島のことについて少しは考えてみようか、修学旅行シーズンということでふとそんなことが頭によぎった。

J-PRESS 2001年 5月号