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CMが消えた日
石川

 番組の途中、いいところでCM。なぜここでCM入れるんだ!と、悔しい思いをしたことがある人いませんか?
 
 今から13年ほど前、すべてのCMが消えたことがあります。
 
 昭和64年1月7日と平成元年1月8日、日本のTVから一切のCMがなくなりました。昭和が終わり、平成が始まる2日間です。
 
 政府の自粛要請に従って、TV・ラジオの民放各局は一切のCMを中止。流れる音楽は、ほとんどが荘厳なクラシック。お笑い番組なんてもってのほか。どの局も追悼番組一色ですから、正直2日目には飽きてきます。しかも、スポンサーがついていないので、30分、1時間といった番組枠もあいまいになり、だらだらと番組が続きます。CMのないTVが、あんなメリハリのないものだとは思いませんでした。
 
 後で聞いたところによると、この2日間は、レンタルビデオ店が大繁盛だったそうです。
 
 しかし、レンタルビデオ店以外にもテレビに娯楽は残っていました。そう、「無敵の」教育テレビです。
 
 当時高校生だった自分が、暇をもてあましながらチャンネルをぽちぽち変えつつテレビを眺めていると、1局だけ妙に明るい雰囲気の番組を放送していました。社会全体が喪に服しているというのに、巨大な埴輪(はにわ)が「はにゃ?」などと言ってます。何も考えてなさそうな能天気さ、突き抜けたような平和な雰囲気、娯楽に飢えていた自分は、不覚にもこの番組に見入ってしまいました。
 
 埴輪の名前は「はに丸」、おともの馬は「ひんべえ」、はに丸たちに日本語を教えているお兄さんは「神田くん」。神田くんを演じる三波豊和が、ほのぼの感を倍増させています。さすが三波春男の子、ただ者じゃありません。
 
 この後も、阪神大震災、地下鉄サリン事件と、世の中を震撼させる出来事があっても教育テレビは常に明るく元気でした。教育テレビが元気である限り、日本は平和だとさえ思えます。
 
 平成もすでに13年目、年号「平成」を発表した小渕官房長官(当時)も亡くなり、香淳皇后も崩御され、昭和は遠くなりにけりといった感があります。
 
 自分の中での、昭和から平成へ変わるあの2日間は、「はにゃ?」という、はに丸の能天気な声とともに思い出される、さみしさとほほえましさが微妙に入り混じった、複雑な思い出です。

J-PRESS 2001年 9月号