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私は「明」で考えた
石黒

 「明(あきら)」、第四子ゆえ姓名判断等に頼る事無く、私に付けられた名前。両親は「人一倍、明るく育って欲しかったから」と説明してくれたが。知人からは「石黒さん、あんた悩み無いやろう」「機嫌悪い顔、見た事無いわ」「毎日、楽しくてしょうがないやろう」と。姓・名とも漢字が非常に平易(小学校2年生までの国語で学習)かつ画数も少ないため、現在に至るまで、試験の「氏名欄」を書くのが最速であった事は言うまでも無い。
 
 「明」、最初と最後の母音がAであるため、名前を呼ばれると人一倍ドキッとする。母音のAで喚起され、諭され、叱られ。集団の中でも後方には居られず、徐々に一歩前へ。気付けば最前列に位置し、呼ばれもしない、頼まれもしないのにしゃしゃり出る。行動範囲を自分のテリトリーと勘違いし、他人の怪訝な表情を他所にリーダーシップを振りかざす。「俺がやらなきゃ誰がやる!?」、田舎大名、お山の大将、井の中の蛙ただ今参上!
 
 「AKIRA !」、先日タイ王国のホテルで、私を呼ぶ甲高い声。帰国のため、ハイヤーに荷物を積み込む手を止める。「私にプレゼント!?今回の滞在は、珍しくホテルの施設をそこそこ利用したから、ディスカウントクーポンでもくれるのかも」。頭の中は無料宿泊券でいっぱい。「フロントデスクまで来てもらえませんか」、二つ返事で背の高い健康そうな男の後をついて行く。デスクに立ち寄るとキャッシャーへ行くように促される。
 
 「AKIRA、どうしてお金を払わず帰るんですか?」、キャッシャーが私に。「支払いは済ませた」「どうして荷物を車に載せるんですか?」「帰国便まで、3時間しか無いんだ」(5分間の問答が続く)。「支払いをしなければ、SKIPPER(無銭宿泊者)の車を出発させない!」「支払いは終わっているって言っただろう!」。他のスタッフが、プリンターの吐き出した計算書を憂鬱そうに、誇らしげに再確認。「#612 AKIRA HARADA」。
 
 「My room number is 0608 !!」「!?」。この顛末は想像に難くない。母音Aの私はここから大逆襲。「渡航先で、SKIPPER呼ばわりされた事は皆無であり、私に対する5分間の誹謗中傷は許しがたい。直ぐマネージャーを呼びなさい。君達との会話は時間の無駄だ」。現れたマネージャーに「私はあなたのスタッフに失望を禁じえない。数日間の猶予を与える。文書でトラブルの原因を説明し、正式に謝罪しなさい」(後略)
 
 「自分達には確証がある」「確証がある自分達は絶対だ」「自分達がやらなきゃ誰がやる」。不幸にもフロントマン、キャッシャーの両者が、確証を基に自分達の理論を構築し展開する。事実関係の初歩的な確認、検証が行われぬまま、シナリオが両者に都合の良く固定化されていく。そして3人目のキャストが「明」。母音のA、最前列のAは異国での些細なトラブルを劇的に盛り上げ、登場人物諸とも更に複雑なスパイラルへと誘う。
 
 2週間後、「Sincerely, SAHTHA(サーター)」と署名された謝罪文が届いた。

J-PRESS 2002年 7月号