城西セミナー城西セミナー

時間は流れて
島竹

 小さな頃を思い起こせば、海辺で過ごした日々のことが心に浮かぶ。小学校から帰るとランドセルを放り出し、決まって海へと向かった。そして、気が付くといつの間にか日が暮れていて、「じゃあね」を言って、急いで家に帰ったものだった。夏休みともなると、朝からずっと海を眺めていた気がする。海の青さ、穏やかな波の音、そして、太陽のまぶしさ。そんな光景が今でも記憶の断片に残っていて、ふとした折に思い出す。
 
 テトラポットの上を走り回ったり、小さなカニを捕まえたり。でも、主役はやっぱり魚釣り(投げ釣り)だった。仕掛けが空に向かって飛んでいく、その爽快感がたまらなかった。少しでも遠くへと飛距離を仲間と競いあったり(遠ければ釣れるというわけではないけれど)。ごくふつうのオーバースローだけでなく、スリークォーター(これはかっこうがいい)に挑戦してみたりと。
 
 でも、あれだけやって、よく飽きずにいたものだ、と今になって感心する。それは、季節によって釣れる魚が違っていたためかもしれない。
 
 例えば、春と夏は、何といってもキス。これは、どんどん釣れるので、やっていて楽しい。そのうえ、焼いても、テンプラにしてもおいしい。食欲を満たしてくれるのも重要なことだ。そして、秋はカマス。サビキという仕掛けに特徴があり、たくさん釣り針がついている。うまくすると2匹、3匹と同時にかかり、何か得した気分になる。冬はカレイ(しかいない)。でも、これを釣るのは難しかった。仕掛けやポイント(場所)にコツがあるようで、上手な友達の言うままに真似をしてみるのだが、結局、上手くいかずじまいだった。
 
 楽しかったことばかりではない。ときには、ドジもした。テトラポットから足を踏み外して怪我をしたこともある(今でも足にあざが残っている)。海が荒れていて、波の飛沫を被ってびしょ濡れになったこともある。でも、それも今となっては、懐かしい思い出になっている。
 
 私は海が好きだ。休みの日など、ふらっと海に足が向くことがある。何をするでもなく、ただぼんやりと眺めているだけ。けれども、この目に映る海は、あのころの海とは違っている。10年ほど前に大規模な埋め立て工事が行われたからだ。確かに、きれいに整備されてはいる。でも、あの頃に見た光景がふと思い出され、なんとなくもの哀しい気持ちになる。
 
 そういえば、高岡の街並みも随分と変わった。道に通う途中で、そう思う。かつての駅前は、いくつもデパートが立ち並び、たいへんな人の賑わいだった。しかし、そのいくつかのビルはもう姿を消している。そのうえ、駅南のダイエーも、数年前に閉店してしまった。「自転車をこいで、遠路はるばる高岡の街を目指したこともあったなあ。」
 
 変わり行く街の姿を目にすると、歳月の流れは本当に早いものだと驚かされる。そのなかで、過去のことを思うと、「あのころはよかった」という感傷にふけったり、その逆に、「あの時はどうしてあんなことをしたんだろう」という後悔をしたり。様々な感情がこみあげてくる。取り返すことのできない時間の流れのなかで、自分にできることといえば、今という時間を精一杯にやっていくことぐらいしかないのだろうか。

J-PRESS 2002年 12月号