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私は「数え年」で考えた
石黒

 溯ること40年前、散居村にある私の実家の元旦は、雪が深々と降る朝、家族7人全員が茶の間の炬燵を囲むことで始まる。家長である父、そして祖母(当時61歳)が上座から厳かに「明けまして、おめでとう」。母が4人の子供の音頭を取り「おめでとうございます」。祖母がすかさず私の姉に「みのり、今年で何歳や?」「11歳になります」。矢継ぎ早に「邦子は? 明は?正は?」と孫4人の年齢を確認していく。私が元気良く「5歳!」と答えると、祖母は怪訝な顔をし「数えで6歳やな、もうすぐ小学校やぜ」。
 
 4、50年前まで日本人は皆、「お正月」に「歳」を取っていた。日本全国の人々がお正月に一斉に年齢を一つ加える。この数え方を「数え年」と言い、生まれた時にその年齢を「一歳」と数え始め、お正月に加齢する。当然 12月31日に生まれた赤ちゃんは、翌日(正月元旦)には「二歳」。しかし、満年齢の「出生の瞬間を零歳とする。加齢は満一年をもってする」との原理に慣れ親しんだ我々は、感覚的にこの事実を不合理と感じる。
 
 平成15年元旦、私は満年齢45歳、まだまだ血気盛んな40代半ば。父が家長として健在であることを幸いに、見聞を広める、人格を高めるとの大義名分のもと、時間を見付けては異文化コミュニケーションに興じ、異国の地を彷徨う。多種多様な現地の雑貨をスーツケースにつめ込み、オーバーチャージ覚悟で帰国のフライトにチェックイン。自分勝手な権利の拡大解釈、社会的責任の放棄、負担・義務からの逃避の放蕩三昧。
 
 私は数え年47歳。「数え年」は、身勝手な「満年齢」人間に対して、人間社会での暴走を決して許さず、社会的儀礼を重要視した生活を義務化する。自由と権利を履違え、無計画に時間を謳歌してきた「満年齢」人間ほど、そのツケは重くのしかかる。お正月に歳を取るという昔の慣習は、粗野で卑俗である「満年齢」人間の行動を、普遍的な社会全体の価値観、道徳観、倫理観へと軌道修正させる、巧妙なシステムだったのではないか。
 
 這え笑え 二つになるぞ 今朝からは
 (文政2年/1819年、小林一茶)

J-PRESS 2003年 1月号