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ダは大仏さんのダ
石川

 身近だけど、意外と知らないことってありますよね? 今回は、城西セミナーのすぐそばにおられる大仏様のことについて書いてみようと思います。
 
 約800年前、摂津国(現在の兵庫・大阪のあたり)の源義勝が越中に移り、二上山に約5メートルの木造大仏を造ったのが始まりだそうです。
 
 その後、1609年(慶長14年)前田利長公が高岡に城を築く際、現在地に移されました。
 
 しかし、時が経つにつれて傷みが激しくなり、1745年(延享2年)、木造金色の姿に再建されました。
 
 高岡の名物として、町民から親しまれていましたが、1821年(文政4年)の大火で惜しくも焼け落ちました。
 
 当時の住職第二十六世譲誉上人の熱心な訴えで、地元坂下や定塚の人達が協力し、20年の月日を経て、1841年(天保12年)、遂に再建されました。
 
 ところが、59年後の1900年(明治33年)の大火で再び焼失してしまいます。
 
 このときの火災による被害はすさまじく、3589戸が焼け、市役所や警察署なども燃えてしまい、文字通り高岡を焼き尽くしてしまったそうです。
 
 歴代の大仏様は、このように火災による焼失を繰り返したため、市民から「再び焼けることのない大仏様を」という声が多くあがり、高岡銅器の技術の粋を集めて、33年後の1933年(昭和8年)の5月に今の大仏様が完成しました。
 
 1984年(昭和59年)には大修理が行われ、後ろに11メートル移動されて現在の位置になりました。
 
 日本三大仏と言いながら、奈良、鎌倉ほど有名じゃないとか、文句をつける人もいますが、自分にとっての大仏さんは、小さいころから慣れ親しみ、思い出のある存在です。確かに奈良・鎌倉ほど有名じゃありませんが、いちばんカッコイイと思いませんか?
 
 歌人 与謝野晶子は、鎌倉の大仏を
「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
と歌に詠んでいます。
 
 その与謝野晶子も、完成直後の高岡大仏を訪れたときには、鎌倉大仏よりも美男であると言ったそうですよ。

J-PRESS 2003年 6月号