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花火を見よう
初野

 じめじめした梅雨も終わり、いよいよ夏!!!みなさんは1年で1番長い休みを楽しんでいることでしょう。
 近年北陸では、地球温暖化のせいでしょうか、しばしば日本国内でも最高気温を記録することもありますが、やはり九州や近畿などと比べてみると、「北陸の夏は短い」ようです。
 そんな短い夏、楽しみな事は人それぞれでしょうが、やはり夏といえば花火大会ではないでしょうか。ということで今回は花火についてのお話です。
 
 毎年この時期になると各地で様々な花火大会が開催されます。何年か前におとなりの石川県で、規模の大きさで有名な川北花火大会に行きました。これは打ち上げ数が10000発。庄川沿いで行われる北日本新聞花火大会が1500発ですから約6、7倍にもなります。時間にすると少し多すぎるのでは...と思う位でした。
 
 規模もさることながら、花火自体の大きさも様々です。花火大会で使用される花火玉の大きさは予算によりますが、その花火大会で打ち上げることができる最大の玉の大きさは「保安距離」によって限定されます。これは打ち上げ場所から観客や付近の建物まで玉の大きさに合わせて、一定の距離(10号で半径290メートルなど)を置かなければならないという安全距離で、法律で定め、都道府県により規定が違うそうです。この規定により、大都市近郊では「打ち上げ場所が狭い」ために小玉ばかりになってしまい、逆に富山県などでは大玉も多く見ることができるのです。
 
 日本では伊達正宗か徳川家康が初めて花火を見た日本人といわれ諸説ありますが、どちらにしても1600年前後が日本における花火の歴史の開始時期です。その後、8代将軍吉宗の時代に『両国川開き』の花火大会が始まり、当時江戸の2大花火師だった"鍵屋"と"玉屋"がこの『両国川開き』で腕を競い合ったことから花火鑑賞でお約束の「玉屋~、鍵屋~」のかけ声も誕生したそうです。明治に入ると文明開化によって欧米からストロンチウムやバリウムなどの炎色材が日本にもたらされ、それまで花火に無かった赤や青、緑などの色を使った鮮やかで色彩豊かな花火が作られるようになりました。そして花火師たちの努力の積み重ねにより、今日日本の花火は「世界一の美しさ」と言われるまでに発展を遂げたのです。
 
 今年は是非、日本の花火技術の高さに感謝しながら夜空を見上げたいものです。

J-PRESS 2003年 8月号