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私は「同級会」で考えた
石黒

 8月16日夕刻、10数年ぶりの高校の同級会が、近くのホテルの日本料理店で開かれた。40名の学友の中で私が一番暇な為、否、このての作業に慣れている為、宴会場の交渉・予約、案内状の作成・発送までを一手に引き受け、何とか本番に漕ぎつけた。当日は同窓会・同級会の当たり日らしく、ホテルのフロアーは、お目当ての会場を探す100人を超える老若男女でごったがえす。「高陵中学校□年卒」「福野高校●年卒」「高岡第一高校○年卒」「高岡高校■年卒」等の受付が所狭しと並ぶ。
 
 出席者が揃い、挨拶、乾杯、花束の贈呈と進んでいく。近況報告。「Nです。小学校に勤務しています。授業の傍ら『言葉の教室』で言葉に遅れのある生徒を指導しています。」「旧姓、Iです。宮城県N市の生涯学習課に勤務しています。夕方からはママさんバレーで汗を流しています。自慢ですが、先日N市の大会で優勝しました。」「Tです。製紙会社に勤務しています。工場長やってますが、遠慮せずに電話ください。」「旧姓Iです。子育て真最中ですが、時間を見つけ週3日精神科医をやってます。」
 
 恩師には2年間「恐怖の物理」を教わった。定規・コンパスを使わずに力学の図を正確無比に描く。口角泡を飛ばすが如く、積分を使った数式・理論を展開。呆気に取られる我々に喝を入れ、持論の24時間勉強に没頭すべしを繰り返す。「あんたら、勉強する気ちょっこしも無いがですかぁ?」「若いときちゃぁ、勉強してしてしまくるがですわ。」「友達ちゃあ、高校時代はどうでもいいがです。」「私は農家の長男坊で、一町三反(1.4ha)の田んぼしながら、大学で物理学の研究しとったもんですわ。」
 
 「飲み放題プラン」が宴会場を華麗にバックアップ、ビールの空き瓶の数と相まって会話は弾んでいく。話題は富山県を離れ各々が別々に進んできた道程から、28年前の懐かしい高校時代の思い出話へと。雪深い中庭にMが飛び降り捻挫した話、Kが球技大会でサッカーボールから逃げ回っていた話、Aが言い掛りを付けた他校の生徒を殴り倒した話、運動会の2次会(無論、アルコール有り)を恩師に襲撃された話...。薄くなった頭を撫で突き出た腹を抱えつつも、流暢な高岡弁だけは不思議と健在である。
 
 1次会終了、ホテルの1Fロビーで2次会の段取りをしていた。突然、50代前半の美しく着飾った女性が、極めて軽やかな足取りで私に近づき、満面の笑みで話し掛けてきた。「芳野中学校、昭和40年卒の同窓会の人ですよねぇ。」「えっ!?」。一瞬の当惑。ホテルの前で待つ十数名の同級生の群れに飲み込まれ、複雑な感情を胸に、お盆特有の生暖かい風が吹く夜の街へと出かけた。

J-PRESS 2003年 9月号