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「わからない」を認めてみよう
山﨑

 最近のテレビのクイズ番組を見ていて感じたことは、「知識がないのは誰か」「誰がわからないか」を見抜くという形式のものが多いなぁということです。『クイズヘキサゴン』、プラチナロンドンブーツの『ONLY 1 QUIZ バカの壁』などがそうですね。また逆に、ムダ知識とは言え、様々な雑学を教えてくれる『トリビアの泉』もブレイクしました。「人間とは新しい知識を得ることに快感を覚える唯一の生き物である」とタモリさんが言っていますね。誰でも「わからない」と言うことはそんなに嬉しいことではありません。皆さんの身近で言えばテストの問題がそうですね。また、作法や一般常識といわれるようなものはどこか限りなく「わからない」ことがあるという気がします。
 
 確かに「わからない」ということは恥ずかしいことというようなマイナスイメージがいつのまにか私たちの間に根付いています。ですから「わからない」を認めるということはそう簡単なものではありません。たとえ「わからない」ということが解決して、新しい知識を得ることによって快感を覚えるとしてもです。
 
 ここで私は「わからない」を認められない私たちの要因を3つ考えてみました。まず、人間には「想像力」がありますね。その中でかたづけてしまうことができます。次に「自尊心」があります。これが一番やっかいな「わからない」ことははずかしいというようなマイナスイメージに一番近いものだと思います。最後に「怠慢」があると思います。「わからない」と認めてしまったとしたら、待ったり、誰かに尋ねたり、自分で確かめたり……というように、いわゆる面倒くさいことを要するからです。
 
 しかし、それに甘えてばかりいては何の進展もありません。「わからない」を認めることの大変さを理解した上で、それを乗り越えられる人は凄いと思います。折に触れて「わからない」と出遭ったときの自分を大切にしてください。その「わからない」に出遭った「今」が「わからない」を認めることのチャンスだからです。その「今」を失うことは「今」その瞬間の自分を失うことです。
 
 少し難しくなってしまいましたが、勉強でも、日々の生活の何気ないことでも「わからない」ことを「わかった」に変えて、なんでも吸収していきましょう。「わからない」ことを認めていくことが、きっと「わからない」ことが少なく、知識ある人になる秘訣だと思いますよ。そして新しく得た知識に喜びを覚えられるのではないでしょうか。

J-PRESS 2004年 9月号