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ソーメンの作法
深田

 暑い日が続くこの時期になると、近所のそば屋のメニューに加わる1つに「ソーメン」がある。夏になると必ず出現するところをみると、誰かがいつかは注文しているはずなのだが、私はこれまで、こうした店でソーメンを食べた記憶がほとんどなく、また、ソーメンを食べている客を見かけたことがない(ような気がする)。
 そこで、とある昼下がり、近所の「○○亭」に出かけ、ソーメン630円を注文してみることにした。
 オーダー後、しばらくしてソーメンが出てくる。つゆは、かつおと干ししいたけのだしのいい香りをさせている。肝心の麺はというと、ガラスの器の中で水に沈んでいる状態。その上にキュウリ2切れとミカン2ふくろ。
 
 ここで私の推察。
 
 ソーメンはだれでも作ることができ(つゆは市販のものをそのまま)、味にそれほどの差が出ないから、わざわざ外でお金を出して食べようとまでは思わないところがあるのかもしれない。
 また、ソーメンを注文するときには、ラーメンやカツ丼などを注文するときの熱い期待感がほとんどない。注文するときに思い浮かぶのは、水底のひとかたまりのソーメン。
 店側もその気持ちを察してか、ソーメンの上をいろいろなもので飾るが、食べ始めるとそれらもすべて水の中。あまりおいしそうには感じられないので食べないで終わる。
 したがって、外でソーメンを食べると、白くて細い麺をくり返し食べたという印象しか残らない。量も少なく、何か物足りず、なんとなくむなしく帰途につく。
 
 一方、家で食べるソーメンは、これとはまったく逆の現象を生む。
 家で食べるときには、大きな器にどっさりソーメンを盛り、テーブルのまん中に置く。それを各自が好き勝手に取って食べるというのが、我が家の流儀。
 これだと、どれだけ食べたかわからない。わからないからどんどん食べる。ソーメンは、冷たくて口当たりがよく、さっぱりしているからいくらでも入る。次から次へと箸が出る。「このへんでやめようかな」と思い、いったん箸を置いても、目の前の涼しげなソーメンを見ていると、自然とまた箸が出てしまう。
 「ちょっと食べ過ぎたかな」と感じると、突如として、急激な満腹感が襲ってくる。
 急に苦しくなり、お腹を押さえながら、食卓をはなれソファーに倒れこむ。私はこれまでに何回もこの食い倒れを経験してきた。
 「なぜソーメンを食べるときには、毅然とした終了をむかえることができないのか」。この疑問を抱えたまま、また今年も暑い日の昼食はソーメンになるのだろう。

J-PRESS 2005年 8月号