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「捨てられない」の作法
深田

 昔から「男子厨房に入るを許さず」という言葉があるようだが、私の場合、1日1回は台所で料理を作るのが日課になっている。
 そこで、最近気にかかっていることが1つ。
 台所では毎日たくさんのゴミが生産される。玉ねぎやじゃがいもの皮、魚の中骨、ひき肉が入っていたトレイやそれを包んでいたラップ、飲み終わった牛乳パック。これらは明らかにゴミだと判断でき、分別ゴミのルールにしたがってそれぞれの収集袋に捨てられる。
 
 問題なのは、はっきりとゴミだと言い切れないゴミ、まだ十分にゴミになりきれていないゴミたちだ。
 
 特に、冷蔵庫の中にはそれらが数多く存在している。
 探し物をしていて、奥の方から出てきた使い残しのハム。確か2週間ほど前に半分使って、しまっておいたものだと思い出す。一応、においをかいでみる。少しにおう気もするが、火を通せば食べられるようにも感じる。ここで使ってしまえば何とかなったかもしれないが、予定になかったので、また冷蔵庫にしまいこまれる。次に発見されるのは10日後。この時点ではもはや食べられる状態にはない。しかし、まだ捨てられない。
 「もっとしっかり腐ってから」
 という変な理由をつけて、もう一度冷蔵庫へと戻される。
 
 バターケースの後ろに隠れていた開封済みの海苔の佃煮やマーマレードを見つけたときもやっかいだ。賞味期限を見るとまだ1か月残っている。しかしラベルにある「開封後はお早めにお召し上がりください」という注意書きが気になる。封を開けたのがいつだったのか思い出せない。カビの発生でもあればあきらめもつくが、見た目は大丈夫そう。冷蔵庫の中の元あった場所に戻されて、次に目に触れるのはいつの日になるかわからない。
 
 我が家の冷蔵庫には、こうしたゴミ予備軍とでもいうべきものが充満しているように思う。野菜室の使いかけのニンジンも、魚室で1匹だけ残ったメザシも、いずれゴミとなる運命なのか。
 
 こう考えてくると、私は日々料理を作ると同時に必要以上のゴミを生み出していたことに気づく。「もったいない」の精神はとても重要だと思う。ただ、何でもかんでも捨てずにためこめばいいということではないだろう。捨てるべきものは捨てて、すっきりすることも大切だ。これは料理だけではなく、毎日の生活のさまざまな面にもあてはまる。
 
 さしあたって、今度の休みの日には冷蔵庫の大掃除をしよう。きっと残り物で新しい料理が生まれるにちがいない。

J-PRESS 2006年 4月号