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ナは涙のナ
石川

 本屋の店頭で、「泣けます!」と書かれたPOPをときどき見かける。どうやら、泣くことを目的として本を読む人が少なからずいるらしい。
 
 「泣く」と言えば、自分が小さいころ、(と言っても平均よりは大きかったけど)年配の人が、悲しいニュースやドラマや映画などを見て、すぐに涙ぐむのを見るたびに不思議だなと思っていた。「なぜそんなに涙もろいのか」と。
 
 しかし、歳を重ねるに従って自分も涙腺が緩んできているのに気づいた。映画や小説、テレビドラマにコミックなど、理性では「こんな、お涙頂戴モノで泣けるかよ、フンッ!」と思っていても、気づくとウルッときていたりする。
 どうやら心の中に「泣きのスイッチ」のようなものが、少しずつ増えてきているみたいだ。
 
 例えば、「パーフェクト・ワールド」のラストで倒れたケビン・コスナーの上をドル札が舞うシーンでスイッチON。
 
 「アポロ13」で噴射のタイミングを計るスピードマスタの秒針でもON。
 
 「タッチ」で達也が新田を三振にとった一瞬の静寂と場面転換にON。
 
 「鉄道員」では高倉健と広末涼子が一緒に鍋をつついているだけでON。
 
 「アルジャーノンに花束を」の最後の“ついしん”なんて、何があろうが間違いなくON。
 
 「タイタニック」で沈没直前まで演奏を続けた楽団員の「君たちと演奏できたことを光栄に思う」なんてセリフには確実にON。
 
 「生きる」で志村喬がブランコをこぐシーンでは、スイッチONにならないなんてことがあろうか、いや無い。と反語表現を使ってしまうほどに100%ON。
 
 映画などのストーリ性があるものだけじゃない。「理由なき反抗」の舞台にもなったグリフィス天文台から見た夜景も一瞬でスイッチはONになりかけたし、高岡から富山へ向かって車を走らせていて真っ直ぐ東へ伸びる道の先に立山連峰が見えると、それだけでなぜかスイッチONになりそうになる。
 
 そのうち何を見ても涙が止まらなくなるんじゃないか、と不安を覚えるほどに「泣きのスイッチ」は年々増えている。きっと、演技でいつでも涙を流すことができる俳優さんは、このスイッチを意識的にON/OFFできるんだろうけど。
 
 まぁ、適度に泣くのは健康にもいいと聞くし、少しドライアイ気味の自分は、それぐらいが丁度いいかもしれない。それに、今度は何にスイッチが入るのか、自分自身の反応が案外楽しみでもあったりする。

J-PRESS 2006年 6月号