昔の遊び深田
子供は遊びが大好きなはずなのだが、この頃の子供は遊ばないし、遊べないという。あなたはどうだろうか。しかし、日本には古くから楽しい遊びがたくさんあった。その歴史をほんの少し。
わが国の文献に残された最古の遊びは木登りだと言われている。両手・両足に力を入れて懸命によじ登る。子供たちにとって、屋外での全身運動だったに違いない。
ほかに、『日本書紀』や『万葉集』には、相撲(すまひ)・鷹狩(たかがり)・闘鶏(とりあわせ)・双六(すごろく)・打毬(だきゅう)・雪遊(ゆきあそび)などが出てくる。
子供たちは、狩りや漁をしていた時代から、川に入り野山をかけまわり鳥や小動物などをつかまえたりしていたと思われる。鬼ごっこやかくれんぼは、いつの時代でも子供たちの遊びの主流だった。
昔から、子供たちは家の仕事を手伝わされたものである。だから、弓や矢、あるいは舟などで遊ぶことは、大人になってする仕事の準備にもなっていた。仕事を覚えることは、当時の子供たちにとって楽しいことでもあったわけだ。
仕事だけではなく、子供の遊びには大人の生活をまねたものが多い。いわゆる“ごっこ遊び”だ。女の子はままごとをしたり、人形を抱いたりして母親のまねをして遊ぶ。これらは古くは平安時代の雛遊びにさかのぼることができる。貴族の子女が雛人形に着物を着せたり、いろいろな調度を整えたり飾ったりして遊んだのである。
だから大人の生活が変われば子供の遊びも変化する。たとえば、戦乱の世ともなれば、軍遊び(いくさあそび)が流行する。鎌倉時代には男の子の間で竹馬遊びが盛んになった。今に伝わるものとはちがって、葉っぱのついた生竹にまたがり、これを馬に見立てた“ごっこ遊び”だった。後世の二本足の竹馬は室町時代にはやった田楽に使われた高足(たかあし)と呼ばれる道具から子供の遊びに変化したものといわれている。
ところで、子供の遊びには、季節に応じた四季折々の遊びがある。
春の摘み草をはじめ、夏の水遊びや蛍狩り、秋の栗拾いや冬の雪遊びなどは、そのほんの一例に過ぎない。
また、正月をはじめとするさまざまな年中行事は、子供たちの生活にいろどりを与えた。正月の室内遊戯である歌かるたや絵合わせかるたは、平安朝の貝合わせからきているという。こまは朝鮮半島から伝わったが、庶民の子供たちの間に普及したのは鎌倉末期からで、凧は平安朝の紙鳶(かみとび)から発展し、竹と紙で作るようになってから全国的に広まったという。
こうして昔の子供たちは、幕末のイギリス公使オールコックが書いたように、まさに「自然の子であり、彼らの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ、大人ぶることがなかった」のである。