私は「Ms.TOSHI」で考えた石黒
昨年某国を旅行中、幸運なことに搭乗手続き時、「イシクロ様、席を譲って頂けるのなら」ということで、某航空会社から地球を1周以上無料旅行できるマイルを獲得。早速母に自慢げに話すと、「あらぁタダで行けるなら、TOSHIに会いに行きたい、32年間会っていないし」とのこと。数年会っていないロス郊外在住のERICも、「アキラに自慢できる家を建てたから見に来い」とうるさい。迷わずマイルは家族分のアメリカ西海岸往復の航空券交換証に。
TOSHIおばさん65歳、母の妹で32年前まで沖縄の在日米軍(キャンプハンセン)に勤務、米軍兵と結婚、二女を授かる。数年後ご主人の米本国への帰還が決定、無論彼女の米国行きは親戚を挙げて反対。幼子を抱え駆落ち同然で空港に、手にはパスポートも戸籍も無く。家族4人を乗せたTWA機(アメリカン航空に吸収合併)はグアムへ。ハワイを経由し目的地のロサンジェルス空港に着いたのは二日後。
「ロスの空港からどうやって来るかって」「ホテルでなくて家に泊まらないかって」「近所の人がBBQに集まってくれるって」、母は遠足前夜の小学生と化しスーツケース、ガイドブック、外貨が居間を占領。(中略)我々を乗せたNWA機は11時間かけてTOSHIが降り立った空港に到着。早速レンタカーで一路西海岸を120マイル南下。地図は不要、米国製のカーナビが寸分の狂い無く我々を郊外の住宅街へ。
BBQの煙がTOSHIの家に手招き。十数人の親戚や近所の人たちと米国産牛肉を囲む。メキシコ国境はすぐそこ。紫外線タップリの西日、巨大なローストチキンが異邦人であることを忘れさせる。おばあちゃんになったTOSHIに聞いてみた。「娘さんも独立したことだし日本に帰ってきたら?」「帰国? 沖縄も日本も物価がねぇ。テーゲー(適当)な感じが沖縄と似ているし、30年も住んだら何にも感じなくなったサー」。
年賀状を作成中。米国、中国、タイ、英国、サイパンに移り住んでいる学生時代の旧友へのコメント書きながら、海外赴任や移住が身近になっていることを痛感。「ひょっとして自分も!?」との考えが脳裏をよぎるが、TOSHIの言葉「米国では、自分で要求しないと誰も何もしてくれないんだよ」が私を厳しく諭す。チキンを頬張る八重(ヤエ)ばあさん(80歳)、それまでの英語を止め日本語でポツリ、「わんっうちなんちゅう(私は沖縄県民)!」。