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「0(ゼロ)」を考える
深田

 1月某日、コラムのネタを考えながらテレビの天気予報を見ていると、北陸の冬には珍しく「午後の降水確率は0%」。
 そこで、かなりこじつけではあるが、今回のコラムは『0(ゼロ)』について。
 
 0(ゼロ)は6世紀ごろインドで発見(発明)されたと言われている。それがアラビア、ヨーロッパと伝わり、日本には江戸時代に伝来したようだ。しかし幕府の鎖国政策もあり一般に広まることはなかった。多くの日本人がゼロを知るのは幕末から明治時代ということになる。ゼロが誕生したのが6世紀だとすると、日本人がゼロと出会ったのは、つい最近のことである。
 ゼロの登場によって、一番便利になったのは四則演算であろう。ゼロを使わずに計算すると、かなりの労力を費やす。漢数字とインドアラビア数字で比べてみよう。
 
 わかりやすく筆算を例にあげる(図を参照)。漢数字では、すき間があったり「万」や「千」があるとややこしい。それに対してゼロを使うと数字が整理されて計算がやりやすく簡単になる。
 
 ゼロは大きな数を表すのにもとても便利である。一、十、百、千、万、億、兆くらいまでは一般的だと思う。兆以降は、京(けい)、垓(がい)…と続く。漢数字ではケタを増すごとに新しい記号が必要になってくる。一方、0のあるインドアラビア数字では0、1、2、3、4、…、9の10個の記号ですべての数を表記できる。
 
 現在では、ゼロは私たちに最もなじみのある数字だと言ってもいいかもしれない。
 ゼロ歳児とは、生まれてから1年未満の乳児の呼び名であるし、新年の始まりやロケットの発射するときの「3、2、1、0!」のカウントダウンにゼロは欠かせない。また風速0.3m/秒未満を「風力ゼロ」、地震で「震度ゼロ」というのは、人はゆれを感じないが震度計では感知できるものを指すそうだ。
 
 ゼロを使わないシーンも多々ある。運動会で「やった!ゼロ等賞!」などと喜ぶ子供は見たことがない。年号で「平成元年」は「平成1年」なのであって、「平成0年」ではない。日本のビルには0階はないが、イギリスでは0階に対応する「グラウンドフロア」がある。
 ゼロを使うか使わないかの基準がどのように設定されているかを探ると、面白い発見があるかもしれない。
 
 ゼロは私たちにとって、あまりにも身近な存在になってしまって、その偉大さを忘れがちである。だが、ゼロのない世界を想像してみるとゼロの不思議な力を再認識させられる。足しても引いても相手の値を変えず、掛けると相手がゼロになり、ある数をゼロで割ることはしてはいけない。これほど特殊な数は、まさにゼロだけである。
 「数学」門外漢の私であるが、『0(ゼロ)』について調べてみると、思いのほか興味深く予想以上に楽しい作業でもあった。
 
 当たり前に思えることに対しても探求する気持ちはこれからも持ちつづけたいものである。

J-PRESS 2009年 2月号