私は「夏休み」で考えた石黒
7月21日、待ちに待った夏休みがスタート!「夏期講習会の後半はオーストラリアでホームステイします」、「家族で沖縄に長期滞在します」、電話から生徒たちの夏休みならではのゴージャスな欠席理由が聞こえる。カレンダーを見れば三連休は日常茶飯事、「秋のゴールデンウィーク」も登場し休日が目白押し。ルーティーンな日常生活からの豪華絢爛な大脱走が始まる。
タイ在住の友人によると、タイ王国の夏休みは猛暑・酷暑が続く3月中旬から5月の第一週まで。農村地帯の一割程度の小中学生は自ら仏門に入る。家族との縁を切り出家、髪をそり落とし寺院の門を叩く。日の出前に起床し2時間の托鉢に出る、寺院に戻り朝食を済ませ正午まで読経に励む。夏休みの終了と共に還俗(一般社会に戻る)する者もあれば、寺院に残る者も。
セミ取りと宿題に追われた40年前の私の夏休み、自慢できる思い出は少ない。専業農家であった両親は水田の管理に没頭、私を含め四人の兄弟に華やかな「夏休み」を期待させることは不可能。家族旅行など望むべくも無く、海水浴や盆踊りが関の山。井戸水で冷やしたスイカ、裏庭の杉の木にしがみつく何万匹の蝉の声、稲刈りを待つ水田に吹く熱風だけが記憶に残る。
ある日、家族に無断で姉の大きな自転車にまたがる。ペダルを必死にこぎ目指すは隣村のカブトムシの生息地。炎天下、もわっとした風を感じながら、枝がうっそうと茂る川縁に下りる。ランニングシャツ一枚の肌が枝と擦れることも厭わず、柳のジャングルを掻き分け秘密の大木を目指す。一瞬、辺りから木漏れ日が差しこむ。樹液の甘い匂いがカブトムシの大群を予感させた。
稲刈りが済むのを待って神社では恒例の村祭り、農家の長男坊にとっては数週間前から練習してきた獅子舞の集大成。子供たちは香具師(ヤシ)に群がり、大人たちが嬉しそうに収穫の多寡を自慢しあう。参道脇に置かれた映写機は、二本の竹を支柱にした巨大スクリーンに時代劇を映し出し、その横で子供たちがチャンバラ遊びに興じる。巨木に囲まれたこの空間だけが異次元の様相を呈していた。
今朝、「獅子舞の夏季特別練習と全員参加のお願い」の回覧板が届いた。