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血液型と私
小野

 最近、海外の人と話していて気になったことがある。日本人の血液型に関する習慣である。血液型と性格、あるいはその人の運勢まで結び付けようとするのはどうやら日本人に特に強いようである。あなた何型?やっぱり~。え~絶対○型でしょ。という声は日本全国どこに言っても聞かれるのではないだろうか。しかし知人の外国人に聞くとその国ではそんな習慣はまったくないという。そこで血液型と性格との因果関係について調べてみると意外とおもしろいことが分かった。
 
 血液型による最初の分類は、100年ほど前にさかのぼる。いわゆるA型、B型…というABO式血液型は最初の血液型分類であるが、その歴史はまだ100年ほどしかないのである。もし、血液型と性格の関連性が確かなものだとすると、100年ほどの研究で人間の性格まで分析できたということになる。そんなことが可能なのであろうか。
 
 私が学生の頃、「ソフィーの世界」という本が哲学を扱った書物としては異例のベストセラーとなり話題となった。その中で、あなたは誰?の問いかけに、主人公のソフィーは私とは一体何かを探していく。しかし、作者はその後のインタビューで、2000年以上の歴史がある西洋哲学でもその答えはいまだわからないのだ。と言っていたのを聞いたことがる。「人間」というより「私」そのものを知ること自体、それほど難しいことなのであろう。
 
 血液型だけに焦点をしぼっても、その分類は多種多様である。先にあげたABO式血液型も赤血球に関しての分類の1つにすぎない。しかもたった4通りだ。たとえばRh±で知られているRh式血液型なら細かく言えばその型は40種類以上ある。骨髄移植で問題になる白血球の型、HLA型になると数万通り以上にも及ぶ。その他にもダフィー式血液型など分類方法だけでも約300種類も発表されているのである。
 
 医学の進歩でここまで血液について科学的な分析がなされいるのに、一方で何の根拠もない占い等を平気で信じてしまう。冷静に考えれば実に奇妙なことであるが、しかし人間とはそんなものかもしれない。だからこそ、「私」をどれだけ考えても分からなくなるのであろう。
 
 エジプトのスフィンクスは目の前を通る旅人に謎かけをするという話がある。はじめは4本足、その後2本足となり最後は3本足になるものは何か。答えられなければ食べてしまうという。人間に対し人間とは何かを尋ねているのだが、自分自身が分からなければ存在価値があるのだろうかという問いかけなのかもしれない。
 知人との会話からふと哲学にふけるのであった。

J-PRESS 2011年 4月号