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スは数字のス
石川

 財布に五百円玉があると、必ず貯金箱に入れるようにしています。以前は全ての小銭を貯金箱に入れていましたが、いっぱいになったとき、一円玉、五円玉、十円玉……と分けて数えるのが面倒で今は五百円玉のみ。今日も財布の中を見ると五百円玉が一枚。
 
 お金もですが、身の回りの数字の多くは十でひとかたまりを表す十進法が使われています。一円玉が十枚で十円、十円玉が十枚で百円。百円玉が十枚で千円……というように、十倍になると桁がひとつ上がる表し方です。そんなの当たり前、それ以外の表し方なんて無いだろうと思いがちですが、周りを見てみれば十進法以外の表し方も結構使われています。
 
 たとえば時間は、六十秒で一分、六十分で一時間のように六十進法です。十二時間で半日、二十四時間で一日、十二か月で一年あたりは十二進法でしょうか。これらは古代シュメール文明で使われていた名残のようです。
 
 日本でも「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」で「ひと回り」なんて言います。これも十二進法の一種でしょう。十二という数は多くの数で割り切れるので何かと便利です。実用性から考えれば全てを十二進法で表すほうが合理的なはずなのに。古代人より現代人のほうが非合理的なんて不思議ですよね。
 
 理由は、やはり人間が五本指だからでしょう。指で数えやすいことを優先した結果、多少不便でも十進法が主流となったのだと思います。それでも上記のように、一部では六十進法や十二進法も使われていますし、フランス語では二十進法的表現が残っています。
 
 ところで、豊臣秀吉は指が六本あったと言われています。もし豊臣の天下が続いていたら、日本では十二進法が当たり前になったかもしれません。
 
 現在、複雑な計算は機械任せにできるので、今後ますます合理性よりも分かりやすさが優先されていくような気がします。少しずつ十進法に統合されて、百分で一時間なんて時代が来る可能性もあります。でも、計算する機械であるコンピュータの中で使われているのは二進法。オンとオフだけで表すことができる、考えてみれば最もシンプルで合理的な表し方です。個人的には二進法で統一された世界というのも、なかなか素敵だと思います。
 
 五百円玉を貯金箱に入れつつ、小学生の頃にI/Oというコンピュータ雑誌の読者投稿欄で読んだ言葉を思い出しました。「世の中には10種類の人間しかいない。二進法が理解できる人間とできない人間だけだ。」

J-PRESS 2011年 11月号