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日本文学と私
小野

 「いろはにほへと…」居酒屋の名前ではありません。いろは歌の最初の部分です。かつてはこれでひらがなを習い、今でも試験問題の選択肢番号に(イ)、(ロ)、(ハ)、と使われ昔の香りを醸し出したりすることがあります。
 学問や習い事の初歩と言う意味で「~のイロハから教えて」と使ったりしますが、実はこのいろは歌、漢字で書くと分かるのですが、意外と深い内容が歌われています。
 たとえば最初の句も「色は匂へど…」と書き、「桜の花は咲き誇っていても…」ということで、誰もが感じる心の空しさを、やがて散ってしまう桜の花にたとえて歌っています。
 
 今回はそんな機微をうたった歌を紹介しながら感じたことを書いてみたいと思います。
 「三日月の頃より待ちし今宵かな」松尾芭蕉の俳句と言われています。「三日月…」と始めて中秋の名月を思わせるあたりが何とも興味深いところです。ちなみに、昔は狼男が満月に興奮していましたが、現代では輪の付いた月に人間が興奮しているようです。
 
 さて、各地で盛り上がった金環日食ですが、楽しみが過ぎ去ってしまえば「祭りのあとの静けさ」で、今度は空しさを感じることがあります。いつまでも満足感に浸っていたい気持ちとは裏腹に、そうはいかない現実に引き戻されてしまうからではないでしょうか。
 
 小野小町も我が身の美ぼうを自覚してか、こんな歌を残しています。
 「面影の変わらで時のつもれかし たとえ命に限りあるとも」最近はプチ整形をする人が増えている中で、命と引き換えても変えたくない、変わってほしくない面影とは…。写真があれば是非見てみたいです。彼女に限らず老への苦悩は誰もが抱えています。「最近の若い者は…」ならぬ「最近は…若い頃は…」と思ってしまう自分に老いを感じてしまうのですが、空しくさせるものは老いだけではありません。
 
 ワールドカップで盛り上がったあとも、それが終わると、いつもの学校、いつもの仕事、で一気にやる気が無くなる現象がニュースで流れていました。盛り上がれば盛り上がるほどその傾向が大きく、時には社会問題になるほどです。そういえば楽しみにしていた夏休みも、8月後半にもなるとたまった宿題に気分が沈んでいったのを覚えています。
 華やかな人生を送っても「奢れる者」も「奢らざる者もまた久しからず」で空しく終わる声をたくさん聞きます。
 そんな儚い人生を嘆いているのか、警鐘しているのか。いろは歌も「あさきゆめみし」とうたっています。「浅き夢見し…」最後の最後で夢だったと気づくような人生にはしたくないものです。

J-PRESS 2012年 6月号