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高岡御車山祭り
木村

 先日、これまでのコラムをいくつか読み返す機会がありました。文の書き方は多少は変わってきているものの、テーマは毎回、同じようなものを書いているな、などと思いながら、今年もまた、5月号が当たってしまいました。5月といえば、城端の曳山祭り…は以前に書いていました。ラフォルジュルネ…も以前に書いているみたい。何年たっても、やっぱり考えることは同じのようです(笑)
 
 ところで、5月1日は、高岡のお祭りですね。この文書が皆さんのご自宅に届くころには、もう5月1日を過ぎていると思いますが、皆さんはお出かけになりましたか? 私が小学生の頃は、5月1日といえば学校が午前で終わる、いわゆる「半どん」。今はどうなのでしょうね。この日は国民の祝日ではないですから、学校の授業もお仕事もあるわけです。しかし、ゴールデンウィークの多くの祝日に加えて、5月1日はまるで土曜日のような、カレンダーの「青い」日のイメージです。
 
 さて、高岡の御車山祭り、実はあまり詳しくないので、この機会に調べてみました。この「調べてみました」も、自分の最近のコラムではお決まりのパターンです(笑)。
 
 高岡の御車山は、1588年(天正16年)に豊臣秀吉が聚楽第に後陽成天皇の行幸を仰いだ時に使用した御所車を、前田利家が拝領したものと言い伝えられており、それを加賀藩2代目藩主前田利家が1609年(慶長14年)に高岡に城を築いて町を開いた際に城下の町民に与え、以来、山町(やまちょう)と呼ばれる高岡城下10ヶ町が手を加えながら代々受け継いできたものである。
 
 御車山には安土桃山文化の面影を残す優雅な装飾が施されている。装飾金具は江戸時代の名工達の手による作品であり、木部も漆工達の優れた作品である。7基が揃って巡行する姿は絢爛豪華であり、町衆のエネルギーを示すものといえる。1991年(平成3年)に見つかった高岡市立博物館所蔵の絵図「越中国高岡関野神社祭礼繁昌略図」には1883年(明治16年)に鴨島町の大旗を先頭に、獅子、母衣武者行列、神輿、そして7基の御車山の巡行の様子が描かれている。
 
 高岡御車山の7基が1960年(昭和35年)に重要有形民俗文化財に指定され、行事自体は「高岡御車山祭の御車山行事」として1979年(昭和54年)に重要無形民俗文化財に指定された。また山車の「工芸品」は1967年(昭和42年)富山県指定有形文化財に指定されている。同一の行事に関連して、国の重要有形民俗文化財および重要無形民俗文化財の両方に指定されているものは全国で5例のみで、高岡御車山祭はそのうちの1つである。
 
 歴史のあるものなのですね。高岡に住んでいながら、長い間、御車山を見ていません。今年こそは、出かけてみましょうか。

J-PRESS 2014年 5月号