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世代交代しないもの
小野

 25年ぶりに広島カープがリーグ優勝した。実は私はカープファンである。とはいえ私が熱心に応援していたのは山本浩二や鉄人衣笠などが活躍していた頃だ。現在活躍している選手はいつの間にか知らない名前ばかりになっている。しかも若手が多い。世代交代を嫌でも感じさせられる。
 
 先日、塾に卒業生が遊びに来た。教員採用試験に受かったとのこと。数年前、数学を教えていた生徒がもう数学の先生になろうとしている。私が引退するわけではないのだが、かつて生徒だった子が活躍していこうとする姿を見るとこれも世代交代かと思わずにおれない。
 
 世代交代といえば、新人に注目が集まるものだが、今の私には現役を退いた方のその後が気になってしまう。
 
 オリンピックでメダルを取り今ではバラエティ番組で活躍しているという人もいる。かつては華々しく注目を浴びていても今は借金生活というのも聞いたことがある。良くも悪くも変化していく自分の人生を交代することはできない。
 
 サッカー選手を引退し自分探しの旅に出た人がいたが、旅に出て本当に自分が満足できるものは何かを探すということだろう。
 
 私の親戚にも自分探しの旅に出た者がいた。結果、彼女と子犬を連れて帰り、お前は何を探しに行ったのかとからかわれることとなったのだが。
 
 何を見つけるかはともかくとして新しい世界に出れば意外な出来事に驚かされもする。考え方や視野も広がるだろう。新たなものに興味を持ち、自分が変わっていくのは確かにおもしろい。
 
 一方で知識や経験が増え、精神的に成長しても自分自身は変わった気がしないと思うことがある。
 
 子供の頃から仲の良かった近所のおばさんからは、今でも清君と呼ばれる。昔と同じ感覚で違和感はない。もちろん若いつもり、とは思っていない。鏡で自分の顔を見れば老けた感は否めないし、今全力で走ったらひざが壊れるだろうなと体力的にも衰えも感じている。しかし若いときの自分と今の自分が別人になっている感じはしない。
 
 例えるなら、素の自分に知識や経験といった装飾品を身につけたものが今の私といった感覚だ。
 
 すてきな装飾品を身につけて人間的に豊かになることにもあこがれるし、気心の知れた人と自分を飾ることなく話ができるのも安心できる。
 
 もしかしたら自分探しの旅というは満足できる装飾品を探すことではなく、装飾品を全てはぎ取った素の自分を知りたいというのが根底にあるのかもしれない。
 
 そんなことができるかどうかは分からないが、自分探しの旅を続けて最後はただの老人に過ぎなかった、なんてオチにはしたくない。

J-PRESS 2016年 10月号