評価小野
中学生も、高校生も受験シーズンで生徒のみならず、親御さんも緊張の日々を過ごしていることと思います。受験といえば、学生だけでなく大人になっても資格試験など実益、趣味を問わずさまざまな試験を受ける機会があります。私もかつて趣味から始めて色彩検定の試験を受けたことがあります。当時は暖色系がいいだの、寒色系がいいだのと部屋の模様にもこだわりを見せていましたが、今では自分の服装の色にさえ無頓着になってきました。
ところで試験の合否判定には、順位で決まるものと、ある点数以上とれば必ず合格できるものとあります。高校受験などは順位で決まりますから倍率などとても気になる試験になってきますが、色彩検定などは、順位に関係なく点数だけで決まるので自分がちゃんと勉強していれば合格できるわけです。
成績にも相対評価と絶対評価というものがあります。
たとえば通知表で、5段階の相対評価なら成績上位の人から順番に5、4、…と数字がつけられます。これなら成績の良し悪しが感覚的につかみやすいですよね。
私の通っていた高校の通知表は絶対評価というものでした。テストの点や提出物など総合的に各教科100点満点で点数をつけるわけです。たとえば通知表の数学の欄に68と書かれているのですが、しかしこの数字、テストの点とも違い、果たして良い評価なのか悪い評価なのか分かりにくいのです。当然家に帰って親に見せても「これっていいの?」と毎回聞かれて毎回「僕にもよくわからん」の繰り返しでした。
他人と比べて判断するような相対評価では分かりやすく励みになる一方、比べる相手を間違えると落ち込むだけの評価になってしまします。決まった基準で判断する絶対評価だとマイペースで頑張れますが、評価が分かりにくいので自発的に努力していかないと向上できません。
生きていれば周りから色々と評価されるのはつきものですが、虎の威を借るキツネになって努力を怠ると失敗するし、あてにならない他人の評価で落ち込むくらいなら、まいた種は必ず生えると言われるように地道な種まきを続けるほうが得策です。
そういえば、ウサギとカメのお話を思い出しました。競争相手としては明らかに能力差がありすぎる二者ですが、カメの努力とウサギの怠慢でカメが勝ってしまうというお話。評価がどうであれ、努力した分は必ず報われるという教訓として受け取めたいですね。